鹿の椎骨にふれて思うこと。

この度、山下道場の合宿ワークに参加し、鹿ジビエと山師料理の宿 ざんざ亭にお世話になりました。

その玄関に鹿の椎骨(背骨)の一部が置いてあります。

それに触れ、観察して思いました。

 


 



複雑な形ではあります。しかし、この”パーツ”が、全体に組み込まれた場合

孔(穴)も、突起も、突起間の空間も、すべてが必要で無駄のないことがわかります。

つまり機能にそったフォルムであるということです。

 

「部分」は「全体」として機能するための形状で、

 

その部分の状態は全体に影響するものと思います。

 



縦の荷重に対応する人間の椎骨は、椎体の部分の面積が鹿より広いように思います。

しかし基本的な構造には変わりはなく、

脊髄が入り、筋肉が付着し、血管、神経が通り、

その関節面の滑らかさ、また微妙な傾斜や曲線、凹凸などの

精巧、微細は、人工では成し得ない叡智とまで言えるのではないでしょうか。

 


からだに起こる不具合も微小なことから始まるのではないでしょうか


身体の調整というものを考えても、自分の仕事から言えば

センチなどということはなく、ミリ、もしくはそれ以下のことです。

 

ですから微細なことをおろそかにできないし、

目視できないような微細なことに大事な要素があると思うのです。

 

山下道場のボディーワークは上記のことを実践していくワークです。

 

42.195キロを走るとしても、その筋肉運動は微細なインパルスからはじまり、

それが連続して走り続けられるのだし、その根源は走ろうという意志です。

 



椎骨に限らず、私たちの身体は叡智の結集、結合体で、

動かない前提ならその形状である必要はなく

 

そのフォルムは人間活動、、「ちゃんと生きる」ためのフォルムなのだと

私は思います。

 


では、ちゃんと生きるとはどういうことだろう?

 

と、わたしは自分に問い、

 

その思考を止めてはならないと思うのです。


 



ちょうせい塾

「ちょうせい」は、自分自身で調整する 養生  摂生の意。   命をつかんで、そして離さない。 Vital Energy Body Workをその中心核とし、 身体とこころをとりまとめ、一度きりの人生を 身体の力とその意識圧によって、主体的に切り開き 創造してゆくバイタリティを養うことを 喚起し、案内していくことが、ちょうせい塾の活動目的です。