人為として働きかけたその後に


今回のワークでは、身体で、ひとつの形をとった時の

「身体内部に起こってくるもの」を観察することに主眼をおきました。

 

また、座学にいつもより時間をさきました。


私の師、山下道場総師範が、この座学の時間を重要視しているように。



「無為自然」 という、字で読んでしまうと

何もしないということと勘違いしてしまいそうなこの言葉を

 

じっくりと皆で考えました。

 


施術の場合では、一から十まで私が対象者に変化を起こすわけではなく、

私はできるかぎりのアプローチ、働きかけをし、

その後に起こる対象者の身体変化は、「自然」の発動であり、

その営みに委ねられる。

 


私は米を研ぎ、炊飯器をセットし、スイッチをオンする。

時間を経て、、(大事なプロセスです)  米はご飯になる。

 

私はどうすればご飯が炊けるかを知っている。(他のやり方でも)

スイッチを入れれば、”そういうもの”が働くことを知っている。

 

この働き ”そういうもの”を信じている、

信頼して委ねる。

 

これが理にかなう ということだと思います。

 

私はご飯を炊いた。と言ってもこれは表面上の言葉で、

スイッチオン後は、私は干渉していない。



 

「わたし」という人間、人間という「自然」とその営みを

身体のワークを通じて、体現し、そして体感し、

最終的には「体認」まで行ってほしい。

 

 

その獲得が後々のことだとしても、そこに至るまでに

さまざまな発見があり、学ぶこともあると、思っています。

 


それが生活の中で対面する問題に向かう時の

根源的な力になるとも私は思います。



ちょうせい塾

「ちょうせい」は、自分自身で調整する 養生  摂生の意。   命をつかんで、そして離さない。 Vital Energy Body Workをその中心核とし、 身体とこころをとりまとめ、一度きりの人生を 身体の力とその意識圧によって、主体的に切り開き 創造してゆくバイタリティを養うことを 喚起し、案内していくことが、ちょうせい塾の活動目的です。